奇襲は間違い?桶狭間の戦い
日本三大奇襲の一つとされている「桶狭間の戦い」ですが、じつは奇襲攻撃ではなかった?という説をご存知でしょうか。 桶狭間の戦いとは、今川義元が25000余りの大軍を率いて尾張へ侵攻。大高城周辺を制圧後、沓掛城で待機していた本隊を大高城へ向けて…
日本三大奇襲の一つとされている「桶狭間の戦い」ですが、じつは奇襲攻撃ではなかった?という説をご存知でしょうか。 桶狭間の戦いとは、今川義元が25000余りの大軍を率いて尾張へ侵攻。大高城周辺を制圧後、沓掛城で待機していた本隊を大高城へ向けて…
最近、槍や刀や太刀等に宿った付喪神がイケメン姿になり、歴史の流れを変えようとする敵と戦うゲームが流行っています。そんなゲームの中やコスプレにおいても人気の高い、凄まじい切れ味を秘めたという「へし切長谷部(国宝)」です。 へし切長谷部さんの名…
歴史に名を残す人物に対して「暗殺を目論む人物」が忍者です。隠密活動と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「忍者」ではないでしょうか。 有名な忍者と言えば「甲賀」と「伊賀」の二大流派があることは有名ですね。その昔、13世紀後半に荘園制の支配に抵抗して…
香道を嗜んだ信長様 信長は茶の湯を嗜み、信長を裏切った松永久秀に対して「許してあげるから平蜘蛛茶釜ちょうだい」というほど、その道具に対しても関心が高かった信長。 雅な一面も持ち合わせていた信長は香道も嗜んでいたようです。香道とは、元々は仏教…
信長様は手紙が大好き 織田信長ですが、結構な筆まめさんで手柄を挙げた部下に対する感状も多く出しているんです。一番有名なのは、秀吉の奥さん・寧々に宛てた手紙でしょうか。 秀吉をフォローすることもなく寧々の心情を重んじ、慰め励まし、秀吉をディス…
織田信長の小姓(こしょう)で「森」といえば、蘭丸があまりにも有名ですよね。ちなみに写真は森可成となり、蘭丸や坊丸達のお父さんです。 しかし、美濃国の斎藤道三によって主君・土岐氏が滅ぼされた後、信長に仕えた森可成の息子たちは、蘭丸以外にも小姓…
優秀な松永久秀 松永久秀(1508年~1577年11月19日)は大和国の戦国大名で、松永弾正という呼び方の方が広く知られているかもしれません。 久秀の出自はわかっていません。一説では美濃国の斎藤道三と同郷の出身だと言われ、この久秀は非常に優…
簗田政綱は信長の家臣 生年不詳、出自もよくわかっていない簗田政綱。没年は1579年と伝えられているようですが真実はわかりません。 織田信長の家臣であり、桶狭間の戦いでは敵将の首をとった武将よりも信長から高い評価を受けたといいます。 それは政…
竹中重治は斎藤氏の家臣 竹中重治(1544年9月27日~1579年7月6日享年36歳)は、美濃国の斎藤氏の家臣で御堂城城主・竹中重元の子。 1559年に父・重元が菩提山城を築城したことで居を移したため、それに従い現在の岐阜県不破郡へと身を移…
幕臣だった細川藤孝(幽斎) 細川藤孝(1534年6月3日~1610年10月6日)は、和泉半国の守護・細川元有の子で三淵氏の養子となっていた三淵晴員の次男として京都の東山に誕生しました。 1540年7歳の時に伯父で和泉半国の守護・細川元常の養…