3分でわかる織田信長の歴史 > Articles by: wpmaster

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沢彦宗恩と織田信長

沢彦宗恩は信長の教育係 沢彦宗恩(たくげんそうおん)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての臨済宗妙心寺派の僧で織田氏の家臣・平手政秀(信長の御世話担当で信長を諌めるために切腹したという噂がある人)に依頼されて信長の教育係を務めた人物です。…


信長とジョルダーノ・ブルーノ

本能寺の変によって自害したとされている織田信長ですが、その後遺体が発見されなかったため、噂となったのが「織田信長の生存説」です。 当時の本能寺は、大伽藍をもつ大きな寺院で周囲には高い塀があり、堀も巡らせてありました。 安全面だけではなく種子…


織田信長の戦術・戦略

戦国時代の武将、とくに大将は自分の配下に戦闘を任せて安全な場所で、戦況報告を受けながら指示を出すというのが一般的なスタイルでした。 ドラマや映画で「殿!大変でございます!」と本陣に駆け込んでくるシーンを目にしたことがあるかと思いますが、あの…


稲生の戦い

稲生の戦い(いのうのたたかい)は、織田信秀の死後に織田信長と弟・信勝の間で起きた家督相続争いで信長の青年期の中で有名な戦いの一つです。 稲生とは尾張国春日井郡で現在の名古屋市西区にあたります。 稲生の戦いが起こる前の尾張国の情勢は、一代で尾…


桶狭間の戦い

当時、駿河・遠江・三河の三国に渡って権力を誇っていた今川氏と織田信長による決戦が「桶狭間の戦い」です。 信長の奇襲攻撃によって、今川の大軍を少人数の軍勢で打ち負かしたとされる三大奇襲としても有名ですね。 しかし、この奇襲攻撃の説ですが、近年…


姉川の戦い

信長系の映画・ドラマでも演じられることが多い「姉川の戦い」は、織田・徳川連合軍と浅井・朝倉の連合軍による戦いになります。 この戦いをきっかけに延暦寺が焼き討ちにされ、信長の残虐非道なイメージが定着したような気もします。 戦い自体、それに付随…


長篠の戦い

長篠の戦いは、信長が鉄砲隊で甲斐国の武田勝頼の騎馬隊を討ち破ったとしてとても有名な戦いです。 織田の鉄砲隊が「三段撃ち」をしたと授業で聞いた人も多いと思いますが、近年では三段撃ちはされていなかったという説が有力になっています。 織田信長が足…


信長の美濃攻略

1541年、斎藤道三(斎藤利政)が美濃国守護・土岐頼芸の弟・頼満を毒殺したことから頼芸と道三の対立抗争が始まりました。 1542年には道三は頼芸の居城・大桑城を攻め、頼芸父子を尾張へと追放すると事実上美濃国の国主となりました。 しかし、追放…


信長の本願寺攻略

石山本願寺は、元々京都市山科区にあった浄土真宗の寺院「山科本願寺」が細川晴元らによって火を放たれた後、当時大坂にいた浄土真宗の僧侶・証如が、現在の「大坂城二の丸」あたりに山科本願寺にあった仏像などを鎮座したのが始まりとされている寺院です。…


織田信長と斎藤道三

織田信長の正室・濃姫の父上で「美濃の蝮」と恐れられた斎藤道三。元々は長井氏の出で美濃国守護・土岐頼芸に仕えている武士の一人でした。 道三の父は京都妙覚寺の僧侶であったと言われており、右大臣藤原不比等の次男・藤原房前を祖とする藤原北家日野家一…