信長とジョルダーノ・ブルーノ
本能寺の変によって自害したとされている織田信長ですが、その後遺体が発見されなかったため、噂となったのが「織田信長の生存説」です。
当時の本能寺は、大伽藍をもつ大きな寺院で周囲には高い塀があり、堀も巡らせてありました。
安全面だけではなく種子島にも多くの信者がいたため、鉄砲や火薬などを手に入れるために大変有利だったようです。
そのため、信長は寺領を安堵し、京都での滞在場所として本能寺を利用していました。
そんな寺院であれば抜け道や隠し通路の一つや二つあっても不思議ではなく、信長は隠し通路を使って本能寺を脱出し、生き延びていたというのです。
信長の生存説には他にも色々あるのですが、その中の一つで海外へと渡り「ジョルダーノ・ブルーノ」になったのではという噂があります。
但し、二人についての情報を知る限りでは完全に別人です。何故、そんな二人にこのような都市伝説が浮上したのかというと「顔が似ている」という部分です。
日本には源義経が海を渡りチンギス・ハンとなったという伝説もありますから、信長にそんな噂が流れたとしても不思議ではありません。夢がありますよね。
ジョルダーノ・ブルーノとは
1548年~1600年2月17日ナポリ王国のノーラで生まれ、14歳の時にナポリに引っ越しナポリ大学で学びました。17歳の時にドミニコ会に入会し、フィリッポ・ブルーノからジョルダーノ・ブルーノと名を改めました。
1572年には司祭となり、1575年には神学博士となりました。
ジョルダーノ・ブルーノは様々な思想・哲学から独自の哲学を生み出しましたが、1576年「異端の嫌疑」をかけられて逃走、しばらく放浪生活を送りました。
その後、1585年にパリへと戻りましたが、アリストテレスの自然哲学を批判した「120のテーゼ」が問題視され、1592年に異端審問所に連行されました。
そのまま7年の歳月を牢獄で過ごし、異端審問が行われましたが自説の完全な撤回を求められましたがジョルダーノはそれを拒否。
さらに魔術・占星術の信奉やマリアの処女性の否定などを含めて24もの罪に問われ、1600年1月8日に死刑が確定し、同年2月17日に火刑に処されました。
しかし、ジョルダーノの処刑については20世紀になってから再検証がなされ、1979年にカトリック教会が公式に異端判決を取り消しています。