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織田信長に仕えた黒人侍「弥助」


少し前に「信長のデスマスク」というものが、世間を賑わせたことを覚えているでしょうか?信長のものであるという確証はないものの、信長の性格から死後にデスマスク作っていても不思議ではありませんね。

信長デスマスクを作るために本能寺から信長の首級を持ちだしたのが、今回の主役・黒人サムライ弥助なのです。かなり日本人的な名前ですね。

これは信長公の命名だそうで弥助は、信長の側近として仕えていたようです。また、信長も弥助を気に入り、いずれは国持ちの城主にしたかったという話もあったのです。

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何で弥助が信長に仕えてたのか

弥助はイエズス会のイタリア人巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが、インドから連れてきたモザンピーク出身の召使というか奴隷でした。

信長公記にも巻十四には、(意訳)「1581年2月23日のこと、キリシタンの国から黒人坊主が参上してきた。この黒人は26~27歳くらいに見え、体は真っ黒でまるで牛の様であった。また、優れた体格の持ち主で十人でもかなわぬほどの剛力の持ち主でもあった。この黒坊主は伴天連(巡察師のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ)が信長公に挨拶に訪れた際に連れてきたもので、信長公の御威光により、こうして古今見及びもせぬ珍物や稀有なる者達を細々と見る機会に恵まれることは本当にありがたいことです。」と書かれています。

信長は当初、弥助が体に墨でも塗っているのではないか?と疑いその体を洗わせたところ、彼の体は白くなるどころかさらに美しく黒く光ったので信長は大変関心を示し、ヴァリニャーノに頼んで自身のそばに置くことにしたのです。


高身長で大柄な弥助

当時、京に黒人がいることは珍しく見物人が殺到し、喧嘩などで重傷者がでることもあったようです。



太田牛一の末裔には、弥助が私宅と腰刀を与えられ時に道具持をしていたという記述のある写本が伝えられ、さらに家忠日記の中では「上様御ふち候、大うす進上申候、くろ男御連れ候、身はすみのごとく、丈は六尺二分、名は弥助という」と記述があり、これは弥助も従軍していた甲州征伐の帰り道に徳川領を通った際に目撃したものと思われます。

身長が182~187cmというのは現在でも大きいですが、戦国時代の男性の平均身長が157~160cmほどでしたので相当大きく見えたことでしょう。前田利家が180cm前後の高身長だったので、もしも二人で並ぶようなことがあれば、当時の人々には恐怖すら覚える光景だったかもしれません。

先にも書きましたが、信長はいずれ弥助を一国一城の主にしたかったようなので気に入っていたことは間違いありません。

当然、本能寺にも同道していたようで明智軍と戦いでは多くの敵を倒し、信長が横死したあとは信長の嫡男・信忠の下へ参じたそうです。その後、明智軍に捕縛され、宣教師の元へ戻すようにとの指示があったそうですが弥助の消息は不明です。

重臣であっても謀叛を起こされる時代に僅か1~2年しか仕えていない主君のために命を張ることができるというのは立派に武士ですね。

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