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織田信長を狙撃した伝説の忍者


歴史に名を残す人物に対して「暗殺を目論む人物」が忍者です。隠密活動と聞いて真っ先に思い浮かぶのは「忍者」ではないでしょうか。

有名な忍者と言えば「甲賀」と「伊賀」の二大流派があることは有名ですね。その昔、13世紀後半に荘園制の支配に抵抗していた人たちが起源と考えられ、乱波、透波、草など様々な名前で呼ばれていました。

そんな忍者が織田信長を狙って狙撃したことが何度もあるというのです。

あまり歴史の表舞台には出てきませんが、戦国武将は強く有名であるほど常に命の危険にさらされていたわけです。※写真の忍者はイメージです。

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甲賀流忍者の杉谷善住坊

忍者の二代巨頭・甲賀と伊賀は山を隔てて郷があり、大きな違いは甲賀流が一人の主君に対して忠義を尽くすのに対して、伊賀忍者は金銭による契約で雇われていたという点です。

伊賀忍者は給料以上に雇い主とは接点をもちません。そのため、雇い主が敵同士であっても双方に伊賀流忍者を派遣するという実例はあります。何か気まずいですね。

織田信長は甲賀流忍者に狙撃されています。

その忍者の名前は「杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)」生年はわかっていませんが、1573年10月5日に死去しました。

杉谷善住坊は火縄銃の名手であったと言われており、その出自は不明です。また、信長を狙った理由に関しては、六角氏に依頼された、信長に個人的な恨みがあった、鉄砲の腕を試したかったなど….はっきりとはわかりません。

しかし、彼が甲賀流の忍者である以上、誰なのかはわかりませんが仕えていた主君の命を受けてという線が濃厚でしょう。

1570年4月、信長は越前の朝倉氏を攻めていました。その途中、浅井長政に挟み打ちにされ、一時京へと退却しています。

5月には岐阜城へと帰還の途についていた5月19日、杉谷善住坊は近江国の千種街道を伊勢方面へと抜けようとしていた織田信長を狙撃、失敗に終わりました。

信長と善住坊の距離はおよそ20数m。2発撃ったとされていますが信長はかすり傷のみ、暗殺に失敗した善住坊は逃亡を生活を送ることになります。


恐ろしい鋸引きの刑

この銃撃に対して信長様は大激怒。徹底的に犯人探しを行い、近江国高島郡堀川村の阿弥陀寺にかくれていた善住坊を領主の磯野員昌が捕縛し、織田家へ引き渡されました。

その後は菅屋長頼・祝重正によって尋問された後、驚きの方法で処刑されました。

それは「鋸引きの刑」です。

想像しないで読んでください。善住坊は生きたまま首だけを出した状態で地中に体を埋められ、竹製の鋸(のこぎり)で時間をかけて首を切断するという刑に処されました。

これはフロイスの日本史の中にも記述があり、そこでは仏僧と書かれていますが、書状である一つの城を信長がに敵対させようとしていたと書かれています。

鋸が竹製であるところに信長様の怒りの強さを感じますね。

しかし、信長の命を狙った忍者は彼だけではありません。伊賀流忍者からも狙われています。

忍者の名は城戸弥左衛門。彼も火縄銃の名手で2度狙撃を試みますが失敗。しかしうまく逃げ切ったようです。

捕まっていたら同じ運命だったでしょう。

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