奇襲は間違い?桶狭間の戦い


日本三大奇襲の一つとされている「桶狭間の戦い」ですが、じつは奇襲攻撃ではなかった?という説をご存知でしょうか。

桶狭間の戦いとは、今川義元が25000余りの大軍を率いて尾張へ侵攻。大高城周辺を制圧後、沓掛城で待機していた本隊を大高城へ向けて移動します。

そして行軍途中、激しい雨の中で桶狭間山での休息中、織田信長に急襲された今川義元が奮戦虚しく織田方の武将・毛利良勝に愛刀・宗三左文字と共に首級を奪われてしまうのです。

この時、信長は今川義元の軍の背後から襲ったというのが桶狭間の戦いの定説概要です。

勝利に気をよくして休憩しているところ、奇襲攻撃をしかけるなんてどこまで信長は先読みしていたのか、もしや大高城で負けたのも作戦だったのでしょうか….しかし、この定説が覆されようとしているのです。

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信長公記の「桶狭間の戦い」

定説を覆そうとしているのは太田牛一が記した「信長公記」の中の記述です。桶狭間の戦いに関して「信長公記首」巻23~24あたりに書かれています。

今川義元が尾張に侵攻していることが悩みのタネだった織田信長。今川氏が前線としている鳴海城は天白川の河口近くにあり、東は丘陵が連なり、西には深田が広がっている場所です。

信長は鳴海城の抑えとして丹下・善照寺・中島に砦を築き、水野・佐久間・梶川を配し、さらに鳴海城と大高城の間に丸根・鷲津の二つの砦を築き、両城を分断していました。

1560年5月17日、沓掛城へ着いた今川義元本隊は、大高城へ兵糧を運び込みます。

このような動きから翌日の援軍が出しにくい満潮の時間を選んで織田方の砦を攻撃するに違いないという予測がなされ、丸根・鷲津からの注進(報告)が相次いでいました。

とくに信長は進軍の予定を立てることもなく、家臣たちに散会命令を出し、家老たちは信長の行動を嘲笑しながら帰路に着きます。

懸念されていた通り、夜明け頃になって丸根・鷲津両砦が囲まれたとの知らせが入り、信長は素早く具足を身に着け、立ったまま食事をとると兜を被って馬に跨り城門を駆け抜けました。

これに気付いた小姓衆5騎と熱田までを一気に駆け抜け、7時頃に上知我麻神社の前で東方に煙が立ち上っているのを見て砦が陥落したのを知ることになります。この頃には信長の出陣を知った家臣たちが追いつき、200人ほどになっていました。

熱田からは内陸の道を進み丹下砦に入り、さらに善照寺砦に進み、ここで兵が集まるのを待ち、陣容を整え、同時に前線からの情報を待っていました。

この時、今川義元の軍は桶狭間にて兵を休息させており、時刻は19日正午に差しかかり、義元は丸根の陥落を聞いて機嫌よく歌を歌っていたようです。

信長が善照寺に入ったのを知った佐々隼人正らは「自分たちで戦の好機をつくろう」と300程兵で討って出てしまいました。

この無謀な攻撃は簡単に跳ね返され、佐々は首級をあげられました。これを聞いた義元はさらに気分をよくして歌を続けました。

信長公は善照寺砦からさらに中島砦まで進軍させようとしましたが、中島までは深田の間を縫って行かねばならず、敵から無勢の様子が丸見えとなるため、家老たちは止めたが信長はそれを振り切って中島砦へと移りました。



この時点での信長軍の人数は2000足らず。信長はさらに中島砦も出ようとしましたが、これは止められています。

ここに至って信長は全軍に伝えます。「よく聴け!敵は大高城へ兵糧を持って行き、鷲津・丸根で戦い疲れきっている。比べてこちらは疲れていない。人数は少なくても怖がることはない、運は天にあると昔から言うのを知っているだろう。敵が仕掛けてきたら引き、引いたら仕掛けるのだ。そして倒すのだ。分捕りはせず、首も放っておけ。この一戦に勝ったらここにいるものは末代まで家の面目が立つほどの功名だ。心して励め!」

ちょうど前田利家・毛利十郎・木下雅楽助がそれぞれ首級をもって参陣し、信長はこれも手勢に組み入れ、桶狭間の山際まで密行しました。

するとにわかに空が曇り、強風が吹き、豪雨が降り始めました。この突然の嵐によって沓掛峠にある大きな楠(くすのき)が東へ向け音を立てて倒れ、これは熱田明神の御力であろうと囁き合いました。

やがて空が晴れて信長は槍を天につき出し、大音声で「それ、かかれ!」と下知を下すと全軍が義元本陣めがけ駆けだすのです。

このように書いてあるのですが、これまでは織田信長の軍勢は善照寺から北の方角へ進軍し、桶狭間北側の太子ヶ根から眼下の谷間にいた今川軍を急襲したと言われてきました。

しかし、中島から南東へ東海道沿いに進軍し、桶狭間南側の山に陣をとっていた今川軍を正面から一挙に叩いたとする説が有力になっているのです。素早さが最大の武器としていた織田信長軍ならではの戦い方です。

これから先も新しい情報が出てきて、歴史は書き換えられていくのでしょうか。

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