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民家で発見された信長の書状


信長様は手紙が大好き

織田信長ですが、結構な筆まめさんで手柄を挙げた部下に対する感状も多く出しているんです。一番有名なのは、秀吉の奥さん・寧々に宛てた手紙でしょうか。

秀吉をフォローすることもなく寧々の心情を重んじ、慰め励まし、秀吉をディスる内容ではありますが、ご丁寧に「天下布武」の印まで押しています。

短い内容の手紙も山のように書いている信長様ですが、この時代には「右筆」といって手紙を代筆する職がありました。

手紙はこの右筆の人が本文を書き、信長様がそれに署名するというスタイルが一般的だったようです。

信長が発給した手紙は全部で1100通以上発見されており、かなりの数が現代に残されていますが、やはりその中でも右筆のものが多く信長直筆と思われる書状は僅か十数通しかないようです。

また、当時はザックリとした分類ではありますが、朱印が押されたものと黒印が押されたものの二種類があり、残っている信長の書状は圧倒的に朱印が多く、黒印が押されたものは248通だということです。

朱印は公文書、黒印はお礼状など私的な手紙という使い分けがあったとか…。

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民家で織田信長の書状が多数発見

さて、本題に入りましょう。何故そんな信長の書状の事ばかり言っているのかというと2014年12月頃、神戸市内にある民家から織田信長の書状が新たに発見されたからです。

上記写真はその時のものになります。

見つかった書状は志摩の戦国大名で信長配下の水軍として有名な「九鬼水軍」の九鬼嘉隆に宛てて送られたものです。

内容は信長に献上された革衣と袴に対するお礼状で「天下布武」の黒印が押されたものです。その他、この民家からは秀吉や秀次からの書状も一緒に見つかっています。

秀吉からは文禄の役の際に嘉隆の息子・成隆に対して送られたもので、秀次の書状は同じく成隆に対して、父・嘉隆が敵船を乗っ取ったことを見事であると賞賛する内容だそうです。

この文書によって新たに歴史が解明されたわけではありませんが、九鬼家宛ての手紙がまとまって発見されたのは初めてのことで非常に珍しいようです。


信長の筆跡を鑑定する基準

織田信長の筆跡を鑑定する時、基準となる手紙があります。

全てがこの手紙を基準にしているかはわかりませんが、その手紙は細川忠興に対して送られたものです。

内容は「堀秀政から聞いたけど忠興が手柄を立てたんだってね。これからも手柄を立ててくれることを期待してるから油断しないで頑張ってね」というような内容ですが、この書状には信長の側近・堀秀政が「信長様直筆だよ」と添え書きをしていたからです。

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