信長の遺品「三足の蛙」


香道を嗜んだ信長様

信長は茶の湯を嗜み、信長を裏切った松永久秀に対して「許してあげるから平蜘蛛茶釜ちょうだい」というほど、その道具に対しても関心が高かった信長。

雅な一面も持ち合わせていた信長は香道も嗜んでいたようです。香道とは、元々は仏教と共に香木が日本へと伝来し、寺院で焚かれていたものが始まりです。

平安時代にはその香りが愛され、宮中で焚かれるようになり、貴族が好んで香を焚くようになりました。

その後、香を楽しむだけでなく禅宗の教えも加わり、花開いた東山文化の中で現在の香道に繋がる芸道としての形が確立され、今に残るものです。

その香道を織田信長も嗜んでいたようで、東大寺の宝物庫・正倉院に収蔵されている香木・蘭奢待を織田信長が切り取ったという話があります。

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信長の三足の蛙

さて、この香道を嗜むのには香木をのせるための「香匙」や灰を美しい形に整える「灰押」などの火道具や香木を入れる「志野袋」、道具を並べるための地敷など非常に多くの道具があります。



その中でも香を焚くだけでなく美術品としても扱われる道具があります。それが「香炉」です。

信長はいくつもの香炉を持っていたようですが、その中でもお気に入りだったと言われているのが「三足の蛙」です。

この蛙は青蛙(せいあじん)という中国の霊獣だそうで、足が三本あるヒキガエルなのだそうです。

霊獣は天災を予知する力があり、大変に縁起が良いものとされています。

この蛙は何とも情けない顔をし、愛嬌があると思えないこともありません。

現在は本能寺の宝物殿にて展示されており、信長が遺した遺品の一つとして茶道具などと共に鑑賞することができます。


三足の蛙の都市伝説

この「三足の蛙」ただの香炉ではありません。なんと本能寺の変が起きる前夜、まるで信長に身に迫る危機を知らせるかのように突然鳴きだしたというのです。

その日、本能寺では信長が公家や豪商などを招いてお茶会を開いていました。

名物と呼ばれるような自慢の茶器を披露していた信長、茶会の場でもこの三足の蛙で香を焚いていたのでしょうか…..

夜になって鳴き始めた蛙の香炉は、蜀江の錦(中国の蜀で製した赤地の錦)で包むとようやく鳴くことを止めたと言います。

翌日の夜、本能寺は明智光秀の軍勢によって急襲され、信長は側に仕えていた家臣たちと共にその生涯に幕を下ろしました。

蛙が鳴いたという話が本当かどうかはわかりません。

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