3分でわかる織田信長の歴史

織田信長の城

有名な戦国武将といえば、独眼竜の伊達政宗や六文銭の旗印真田幸村、江戸幕府の徳川家康、足軽から成りあがった豊臣秀吉などたくさんいますが、やはり忘れてはいけない有名人といえば泣かないホトトギスは殺してしまう第六天魔王・織田信長でしょう。
織田信長といえば歴史の教科書でも数多くのエピソードがありますが、そのうちの一つ織田信長の城について見てみましょう。
 
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織田信長の城といえば・・・安土城

織田信長といえばやはり有名な城は安土城でしょう。

安土城様々な歴史的場面に出てくるのは清州城なのですが清州城は、斯波義重が築城しのちに織田大和守家が居城としていました。

1555年に織田信長と織田信光によって織田信友が殺害され、織田信長が那古野城から移り住み、桶狭間の戦いに出陣したり、徳川家康と同盟を結んだり、本能寺の変で信長が倒れた後に後継ぎを決める清州会議が行われたりしました。

歴史が動いている場所ですね。しかし、やはり織田信長の城といえば安土城です。

なぜなら築城したのが織田信長だからなのですが「信長公記」に尾張の大うつけと呼ばれ、町の若者たちと戯れていたとか、幼少から奇妙な行動が多かったと記される織田信長のセンスがいかんなく発揮されています。

 

この安土城が築城開始されたのは1576年。

琵琶湖の沿岸に信長自身が指揮をとり開始されました。この時期は前年の1575年に権大納言に任命され、さらに征夷大将軍に匹敵する右近衛大将も兼任するようになりました。

これにより朝廷から「天下人」として公認されたも同然です。政治と織田全軍を総括する立場は、そのままに信長は家督を信忠に継承しました。

そしてその翌年には安土城を築城開始するという思い立ったらすぐ行動派なのですね。

 

およそ3年後の1579年に五層七重の絢爛豪華な城は完成しました。

そして信長は、岐阜城を家督を継承させた信忠に譲り、安土城に移り住みました。ここを拠点とし信長は天下統一へと本格的に乗り出します。

安土城この信長の居城安土城はイエズス会の宣教師が「その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、それらはヨーロッパの最も壮大な城と肩を並べるものである」と母国に手紙を送ったほどで、地下1階地上6階建てで天守の高さは約32m。石垣を入れたらもっと高いでしょうね。

日本建築の場合木造の高層建築を建てる場合、中央に心柱を立てるのが一般的なのに対し、安土城にはこの柱の礎石がなく、この場所には天守指図から推測すると仏教の宝塔があったみたいですね。

通常の天守閣は松本城などを登ってみるとわかるのですが、居住するのには適していません。

しかし安土城は居住性に優れていて、信長はこの天守で生活していたと思われます。

 

高層建築物に住んだ日本人は織田信長が最初だと言われています。

そして城郭の中には、摠見寺という堂塔伽藍を備えた本格的な寺院があり、百々橋口から城内へたどり着くためには、必ずこの寺院の境内を通らなければならなかったのです。

安土城二の丸跡この入口は普段城に入ろうとする人が使っていた道だと推測されています。本格的な寺院があったのは歴史上で安土城だけです。意外にも宗教色が強いですね。

さらにこの城は戦国武将の城にはあるまじきことがあります。なんと籠城用の井戸や石落としなど戦うための設備は乏しく大手門からの道も6mと幅広く直線が続きます。

本丸御殿は、天皇を迎えるための施設だったとも考えられるので、軍事利用よりも政治の拠点という感じなのでしょう。

残念ながらこの安土城は、1582年本能寺の変が起きて間もなく原因はわかりませんが焼失していまい、今は石垣など一部の遺構を残すだけです。

伊勢安土桃山文化村に安土城を実物大で再現したものがありますが、やはりこの目で本物の安土城を見てみたかったです。
 

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