3分でわかる織田信長の歴史 > 織田信長と戦国武将

織田信長と戦国武将

織田信長と斎藤道三

織田信長の正室・濃姫の父上で「美濃の蝮」と恐れられた斎藤道三。元々は長井氏の出で美濃国守護・土岐頼芸に仕えている武士の一人でした。 道三の父は京都妙覚寺の僧侶であったと言われており、右大臣藤原不比等の次男・藤原房前を祖とする藤原北家日野家一…


織田信長と今川義元

今川義元は、戦国時代に駿河国・近江国の守護大名であった今川氏の第11代当主として生まれました。 今川氏親の5男として正室の母の元に生まれましたが、すでに同母兄の氏輝と彦五郎という後継者がいたため、4歳で仏門へと入り太原雪斎に預けられました。…


織田信長と朝倉義景

朝倉義景は1533年に越前の戦国大名で守護職にあった朝倉孝景の長男として誕生しました。 1548年、父・孝景が死去したため、義景は16歳で家督を相続し、1552年に時の室町幕府将軍・足利義輝から左衛門督の官位を与えられると共に「義」の一字を…


織田信長と足利義昭

室町幕府の第15代将軍・足利義昭は、第12代将軍・足利義晴の次男として生まれ、すでに兄・義輝がいたため家督相続争いを避け、寺社との結びつきを強くするために仏門へと入りました。 法名を覚慶とし、僧たちを管理する役職である権少僧都にまで昇進しま…


織田信長と徳川家康

織田信長と徳川家康、戦国時代の三英傑にその名を連ねる二人です。 織田信長と言えば「大うつけ」と呼ばれ、父・信秀の葬儀では平服で参列し抹香を墓前に投げつけたとか....、延暦寺を焼き討ちにしたとか....、茶箪笥ごと坊主を斬ったとかなど残虐非…


織田信長と豊臣秀吉

尾張国守護代に連なる織田弾正家に正室の子として誕生した信長とは対照的に、尾張国愛知郡中村郷で足軽の子という低い身分に生まれたのが秀吉。 信長の下で手柄を挙げ、地位を手に入れ、本能寺の変後には天下人にまでなりました。 二人とも戦国時代の三英傑…


織田信長と松永久秀

優秀な松永久秀 松永久秀(1508年~1577年11月19日)は大和国の戦国大名で、松永弾正という呼び方の方が広く知られているかもしれません。 久秀の出自はわかっていません。一説では美濃国の斎藤道三と同郷の出身だと言われ、この久秀は非常に優…


織田信長と竹中重治(半兵衛)

竹中重治は斎藤氏の家臣 竹中重治(1544年9月27日~1579年7月6日享年36歳)は、美濃国の斎藤氏の家臣で御堂城城主・竹中重元の子。 1559年に父・重元が菩提山城を築城したことで居を移したため、それに従い現在の岐阜県不破郡へと身を移…


織田信長と細川藤孝(幽斎)

幕臣だった細川藤孝(幽斎) 細川藤孝(1534年6月3日~1610年10月6日)は、和泉半国の守護・細川元有の子で三淵氏の養子となっていた三淵晴員の次男として京都の東山に誕生しました。 1540年7歳の時に伯父で和泉半国の守護・細川元常の養…


織田信長と浅井久政

家督を相続した久政 浅井久政(1526年~1573年9月23日)は、浅井長政の父で1542年に勇猛であった父・亮政が死去したことにより家督を相続しました。 しかし、久政は庶子(しょし)であったため、亮政は正室との間に生まれた娘・海津殿の婿で…